天光冠
大正七年三月蔦屋氏から水野淳治郎が見出した実生(天光冠)3.3号の古鉢(五竜)に植え込んであります。化粧土で飾り首元に青苔につつまれ美しい姿を見せています。
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    オモト
品種 天光冠
天光冠 (3.8号鉢)
5年目姿が整い本芸を見せる。
若いときの優しい葉の地合とはうってかわり、龍がのり、力強く変化してくる
『天光冠』来歴
 明治三十二年頃、岡崎市中町「蔦屋」にて自然交配(褥錦と二面甲龍ではないか?)の実生よりできた物である。当時は「蔦屋実生」と言い、希望者多く、当時の大御所京都の大辻久一郎氏が五百両の値段をつけても売られなかった。五才になっても葉姿、地質は抜群であったが龍を現さないため、蔦屋の主人もとうとうあきらめ、水野に売ることにした。
 水野はその実生を碧海郡福桶村(現岡崎市)の旧家、愛好家、福博さんに、来年五月頃に必ず龍を現すからと言って、保証付きで売却した。福博さんは龍が出るのを楽しみに毎日眺めていました。四月、五月と新芽が伸びてきても龍を現さない六歳の五月末二枚目の新芽に龍が見えてきた。
 福博さんは早朝人力車を呼び、水野宅へ報告に出かけた、水野も五月末になってきたから龍が現れそうな予感がして人力車を呼び福博さんの家へ出かけた。途中で両者ばったり出会い喜び祝い会った。(神様のおつげではない?)
 その後福博さんが培養の失敗で少し傷みが入り失望されていたため水野が買い受け。

 碧海郡六ッ美村村長、黒柳善蔵氏に売却(当時黒柳さんはおもと病院と云われるぐらい傷み木を治療する名人でした)幸いに傷みが治り、殖え芽ができたので、水野と黒柳氏と相談して『天光冠』と命名。
 時の名作者名古屋市の恒川鈴太郎、榊原八曽松氏へ買い取られ、現在まで萬界の最高貴品として愛されている。
天光冠 (3.3号鉢)
2年目の若木丸どめの葉に覆輪がすこし回っている。
天光冠 (3.5号鉢)
3年目本芸を少し表わし始める
(天光冠としては子上は珍しい)